冷えた心臓に名を刻む

双極性障害、パニック障害、会食恐怖、嘔吐恐怖。読書と音楽がすき。

私の夜明けはいつなのだろうか

朝から厨房、午後は外の灰皿清掃からの再び厨房。
朝から躁転してるのは多弁に気付いていたからそこだけは分かっていた。
でも、やること詰め込みすぎてるまでは自分では気づかなかった。
職員さんにも「大丈夫?」と言われた時、包丁のことなのかと思ってしまっていて「大丈夫だよ〜」と何も考えずに言ってしまったけれど、そういう意味ではなく躁転しすぎて疲れてないか、の意味だということにあとから気づいた。

仲良しな職員さんに相談したら、「やっぱりもーちゃんは頑張りすぎてたよ」と。
「でも帰ったら風呂掃除しなきゃだし、カフェで勉強もしたいし、疲れてるのに動き回りたくなっちゃうの。頭の中がぐるぐるしてて」「それなら、帰ってゆっくりごろごろしてな。料理の手伝いも風呂掃除も今日は休もう」「読書はいい?」「うん」「ギターは?」「だめ!」
行動をするのにも誰かの助言がないと安心できない。本当なら自分でコントロールすべきなのだろうけどできない。自分で行動を決める勇気がない。

明日は任されている洗濯だけはこなして、あとは簡単な配達に行ったり、灰皿清掃したりするくらいで暇な時間は増えるけどまったりしてよう。工賃のことも気にしてしまうけれどお金のことを考えると焦ってしまう。(だから障害者年金受給も考えている。これは後ほど)

できる!ちゃんとできてる!と思っていたことはただ躁転しているだけだった。やっぱり病気なんだ。落ち込む。

いつまで病気なのか。
私の夜はいつ明けるのか。

包丁のトラウマ

向けられてた過去があるから包丁がこわい。けど、最近は弁当屋の厨房作業も入る勇気が出てきて。職員さんの後押しがあって。
私専用の子供用包丁を買ってもらった。ピーラーとキッチンバサミは他の人も使えるし(主に私が使うことになりそうだけれど)
人参とキャベツと葱、割と楽なものから練習させてもらってる。無事に手を切ることもなくなんとかこなせた。
昔は包丁持ってるのを見るだけでも怖かった。友達の家に泊らせてもらって料理作ってもらっても切ってる姿を見ることすらできなかった。
最初のうちは弁当屋での作業もメンタル的につらかった。誰も私に向けてくることはないってわかってるはずなのに、フラッシュバックしてしまって。
でも今、克服しつつある。自信に繋がってる。

作業所は市内ならいろいろなところがある。革細工で作ってるところもあれば、お菓子を作っているところとか。うちみたいな弁当屋はあまり作業所としては少ないんじゃないかと思う。
最初はここでやっていけるか不安で。料理未経験の私だから足を引っ張ってしまうのではないかと。
そんな不安を抱えつつも、優しい人たちに囲まれていて、トラウマを理解してくれる職員さんもいて、今、自信につながっているから。
すごく感謝している。ここを選んで、ここにいることができて本当によかった。

トラウマはトラウマ。仕方の無いもの。けれど、それを克服していければいいんだ。今だってフラッシュバックすると怖い。つらい。思い出したくない。苦しい。
でもいつかきっと、超えていけるよ。大丈夫。大丈夫と自分に言い聞かせる。

がんばろう。今日一日生きていこう。

愛情と承認欲求と依存

愛情を与えてくれる人がほしい。けど、今の自分がそれを返せるかどうかはわからない。承認欲求のため?依存したいから?わからない。
元彼への気持ちをもう諦めたい。結婚約束してたくらいに好きだった。今でも好きだ。でも、好きでいることにもう疲れてしまった。好きを諦めたい。
誰か、誰か、私を必要として。
私は存在してていい?存在してることを許してくれる?
愛情を下さい。ドロドロに共依存しちゃおうよ。
さみしいんだ、孤独なんだ。支えてくれる友達がいるのにさみしいと思ってしまう。そんな風に思ってしまう自分が嫌だ。でも、リスカしたい、薬キメたいって言ったら心配してくれて、話を聞いてくれて。本当はそれだけでも充分なはずなのに。

死にたいと思う気持ちは前よりは少なくなってきた。
明日も生きよう。一日を生きて過ごすこと、それが私の今の目標。
ゆっくりね、周りよりはスローペースだけどね。焦ってしまう気持ちもまだあるけれど、私は私だ。

レモン水

弁当屋の厨房清掃の時に汲んでくれるレモン水が美味しい。
「そろそろレモン水が飲みたいな〜」って言うと作ってくれる。美味しい。優しい。
家で何度試してもあの味にはならないんだ。頑張ったあと飲むあの水だから美味しいのかもしれない。

はじめに

精神科歴10年目、中学二年の頃からずっと。
中二で学校のスクールカートの底辺の中でさらに一番底辺の位置付け。いじめられてる子たちにいじめられるなんてプライドがズタズタ。ボロボロ。カーストの上の人たちにいじめられる方がマシだった。保健室登校
家庭環境も滅茶苦茶。刃物を突きつけて「死ね」「殺す」と言う母親。最初はビビっていたけれど慣れてきたら「(だったら早く殺せよ)」と思っていた。中三の頃の担任に「うち〜親が刃物突きつけてきて〜めんどくさくて〜」こんな感じで愚痴程度に話していたら「この後、自習にしとくからその時に話聞く」と、放課後には私、担任、保健室の先生二人、スクールカウンセラーで会議。正直ここまで大事になるとは思っていなくて。児童相談所って言葉を初めて聞いたのがこの時だった気がする。結局児相は行かなかったけれど。担任が「何かあったらこれ」と、携帯番号を書いてあるメモを渡してきて私は帰った。入れ違いのタイミングで母親が学校に来て担任と話したらしい。何の話をしたのかは聞けなかった。それから三日間は母親も私も口聞かなかったけど包丁はもうその時から向けなくなってきた。
母親は元々ヒス体質だった。物心ついたときから何かあるとすぐ「もう死んじゃうから!死んじゃうからね!!!」と騒いでいた。小さい頃の私はそれが怖くてぬいぐるみを抱きしめて泣いていた。今もそう。「死ね」「殺す」は言わなくなったけれど「もう死んじゃうからね!!」はまだ続いてる。でも、もうこれは慣れとスルーしかないんだと最近やっと気づけてきた。

恋愛。
中二から高一の初め頃まで女の子と付き合っていた。初彼女。日本海側と太平洋側の遠距離。彼女もいろんなトラウマを抱えていてリストカットもしていた。リスカを初めて知ったのはこの子がきっかけ。三角関係になったり、当時の私に支える力がもうなくなって逃げる形で別れた。
転校した先の高校(後に詳しく)で出会った男の子とそのあとすぐに付き合った。最初のうちは楽しかった。クリスマスイブ、私の処女はあの時に奪われた。この日から楽しい高校生活も奪われた。ここからが苦しみしかなかった。週六回、平日は学校が始まる前の朝と終わったあとの夕方、土日は一日中。犯され続けた。何度も何度も終わらない地獄。その日に何回したのかは覚えていないしそういうことをしたことは覚えてるけど何をされたかとか具体的なことはもう記憶から消されてる。思い出したくないから心で痛いとこ、つらいとこに蓋をしてるのかもしれない。思い出した時、私はどうなってしまうんだろう。今ではデートDVと呼ばれるものだったらしい。別れるまでに5回別れ話をした。面と向かって言うと、謝られ、「もうしないから」と。典型的なDVだ。信じた私も馬鹿だったし、それでも放っておけない彼に今思えば私も依存していたのかもしれない。彼からは性的な暴力以外にも、母親のように「死ね」と言ってきたり、首を絞めてきたり叩いてきたり、それはきっと恋愛じゃなかった。ただの共依存だ。それでも私は、そんなことをされていても必要とされてるからと彼の傍にいた。必要とされたかったから、ただそれだけで。承認欲求を満たすため。耐えきれなくなった時、最後はメールで「私はあなたの性欲処理器じゃないから。別れる。」と送って終わりにした。翌日学校にいた彼は泣いていたけど。
それからは何人と付き合ってきたかはあまり覚えていない。付き合っては別れ、繰り返していた。特に思い出せる思い出もあまりない。遊び程度の付き合い。寂しさを埋めるためだけの。
でも、私を変えてくれた人がいた。背中を押してくれた人がいた。頑張るきっかけをくれた人がいた。過去形だけど。少し前まで付き合っていた元彼。付き合った期間は7ヵ月弱。この人との出会いで私は大きく変われたと思う。別れた時も「もーちゃんは、強くなったね」と。今でも交流はあるし、ご飯食べに行ったりもする。やってることは恋人とそんなに大きく違う訳では無いけど今は別れている状態。復縁はするかしないかは未定。

話は戻って、自傷行為のこと。
転校前の高校にいた頃、朝、学校に着いてすぐに剃刀と絆創膏を適当に数枚手に取り、剃刀をセーターの袖に隠しながらトイレへ。毎日手首の少し上の皮膚の柔らかいところから肘の内側まで何回も何本も傷をつけた。どうしてそうしてしまったのかは覚えていない。元カノの影響でリスカを知ってから切ることを覚えた。切ってる時は皮膚の痛みはあまり感じない。何故か心が安心して、滲む血をみて生きてることを実感する。切ってから保健室で絆創膏取って包帯を巻いてもらう、いつのまにか保健室の常連になっていて保健室の先輩たちとも仲良くさせてもらっていた。リスカはその頃が一番ピークで、2ヶ月後に転校するまでは本当に毎日がそれだった。

自傷行為はもうひとつ。ODもしていたけれどそれよりももっと大きなもの。
自傷行為とは少し意味が違うかもしれないけれど、DVの元彼の影響と親からの愛情不足による性依存。何人としてきたのかも覚えていないし、身体を売っていくら稼いだのか、すぐにお金を使っていたから覚えていない。セフレから始まり、そういう人たちの集まる溜まり場のような場所に入り浸り、行為をお金として買ってもらう、悪循環だった。結局、お金が必要なのか承認欲求だったのか、どっちが重要なのかは今でもよくわかっていない。見ず知らずのおじさんだろうがなんだろうが勿論快感もだけど「(今、この瞬間だけはこの人に私は必要とされてる)」そう思ってしまう。どんな相手でも。例えお金で買われていても。多分理解されないことだと思っていたけれど、さっきの円満に別れた元彼も性依存だった。だから付き合ってからずっとお互いを求めあってた。大好きな人だから終わってからの虚無感もなくてずっと安心していられた。ぶっちゃけた話、今でもそれは形は変わったけど続いてる。

大学卒業後二年間は自宅療養をしていて、去年からやっと就労継続支援B型(以下就B)の弁当屋さんでお手伝いをしている毎日。人との関わりも二年間はあまりなくて常に孤独だったけれど今は充実した毎日を送っている。とはいえ、病状的にも上がり下がりはあるが。

最後に、私の病名を。
双極性障害パニック障害、嘔吐恐怖、会食恐怖

そんな私の戯言をここに。